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半熟三昧(ジャズ味) このページをアンテナに追加

2015-10-17私たちが楽器が上手くなる理由には2つあってだな このエントリーを含むブックマーク

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今回のはあまり生産的な話ではないです。

学生であれ、社会人であれ、プロであれアマチュアであれ、音楽を続けることによって経験は積まれゆき、程度の差はあれ、それなりに習熟してゆく。

不思議なことに、コンスタントに続けていても、上達は均等に起こらないことが多い。比較不連続ブレークスルーの繰り返し*1

誰が考えたのか知らないが、RPGレベルアップの概念はよくできていて、あれが実情に近いと思う。

* * *

例えば社会人で、短期間にメキメキ上手くなっている人、たまにいますよね。もちろんこの場合音楽が好きで没頭しているのは大前提ではあるのだが「音楽」をしている時間以外のことが、音楽の上達の理由になっていることが時にある。*2

例えば、仕事の壁にぶち当たっているとか、干されて暇だとか、家族パートナーとの人間関係に深刻な問題を抱えているとか。身も蓋もなくいえば、アイデンティティークライシスみたいなもの

また女性によくあるパターンとして、恋愛きっかけで音楽関係するというのは一定割合であります*3 *4

* * *

上手くなりたいと思って練習をする。ただそれだけ。

こんなナイーブ過ぎる理由では、社会人音楽に没頭できない。いろいろ忙しい時間を調整して、可処分時間をひねり出し、音楽従事するには、それなりの理由必要とする。

虚心坦懐に音楽に近づいてるのか、それとも、音楽抜きの世界で居場所がないからなのか。

音楽に引っ張られているのか、押し出されて音楽をやらざるをえないのか。

* * *

というわけで音楽の上達における「白理由」の背後に、しばしばその人が音楽に向かわざるを得ない「黒理由」があることがある。*5

プロ場合比較シンプルだ。上達が即、収入音楽選択肢の増加につながる。学生を含む高等遊民プロけが屈託無く音楽をすることが許される。

社会人場合「白理由」の背後に「黒理由」が透けて見えてしまうことは時にあって、その切実さは、音楽にある種の凄みや重みを付与することがある。

その凄みや重みをうまく使いこなせるかは、その人次第で、重みは、使いようによっていい風にも悪い風にも作用する。切実さ、というのは「イタさ」と同義からだ。

え?僕?

なんの話?

*1:これを理解していないと初学者の人は「踊り場」の時点で退場してしま

*2:上述の通り、経験の蓄積と上達とは少し時相がずれることは留意しておきたい

*3彼氏趣味聴く音楽が変わるというのは女子あるあるです。

*4あくまきっかけであり、別れてしまって止めるか続けるのかはその人次第だと思います

*5:多くの場合それは表面に出ることはない。というか掘り起こさないのが花だ。

2015-09-13呼吸の話 このエントリーを含むブックマーク

hanjukudoctor20150913

管楽器の呼吸の話はいろんな人が書いている。本でも、ネット上でも、沢山の情報に接することができる。

長らく管楽器をさわっている自分は、こういう情報にとかく辟易としていて、あまり重視してなかった。呼吸に関しては漫然と行い、それでよしと考えていた。

腹式呼吸はできてるやろ、長年やってるし。それで十分やん…という態度だったのだ。

しかし、沢山の人が書いているだけあって、呼吸は大事だよな、ということを最近痛感した。

* * *

私はどちらかといえばバップスタイルの、細かいフレーズを刻むスタイル演奏することが多く、また好きだ。

こういうスタイルではブレスのものは、楽器コントロールすべき技術のなかで優先度は低くなりがちだ。

反対に、メロディーを吹き伸ばし、朗々とうたいあげるような、いかにもトロンボーンらしいスタイルは苦手だった。バラードも苦手。

そういう特性を自認していたのだが、もしかしたら、こういったスタイルの好みは、本当は自分音楽的嗜好から発生したものではなくて、そもそも呼吸(正確にはフレーズブレス)が苦手だからフレーズを刻んだのかもしれない、と最近思うようになった。

 無意識下なのか、認知的不協和からか、そういう理由付けをしていたのだ。つまりバップが好きだからそういうプレイをしたというより、メロディアスな吹きのばしが苦手だから、そういうことにしたのかもしれない。ひょっとしたら因果律が逆かも。

* * *

私もそうだが、学生時代吹きまくっていた人は社会人になると、実際楽器吹く時間が少なくて、基礎練がおろそかになる傾向がある。単純に使える時間も少なくて、スケール練習とかを優先する判断は、あながち間違いでもあるまい。

ただまあ、ものには限度というものがあって、長年ロングトーンとかを怠ると、てきめんにパフォーマンスが下がる。

音。ロングトーン

ここが、プロアマチュアの違いの最たるものだと思う。

以前ライブ後に多田誠司さんのお話聴いたときも「セッションで一緒にやってフレーズとかで、いいなとかうまいなと思うアマはいっぱいいるけど、音で『負けた』と思わされたことは一度もないな」とおっしゃってた。本当にそうだと思う。

プロはやはりプロ堅牢な音がする。

特に一流のプロになるほど。

もちろんプロと全く同じような練習はできないけれど、そこの部分から、僕は目をそらしがちで、結果的選択肢をせばめていたように思うのだ。

* * *

かといって、とにかく大きい音で元気よく吹けばいいというものではない。プロの音は、大きかろうが小さかろうが、存在感があってきちんとはっきり聴こえる。Hunter×Hunterで言うところの『念』がこもってるんじゃないかと思えるくらいだ。

これは三塚知貴さんと話していて教えてくれたことだが、例えば、urbie green

I'm getting sentimental over youをみてみよう。

http://youtu.be/odr78mOtU8g

YouTube で見ている限り、4小節以上をワンブレスで吹いている。

実に朗々とメロディーを吹き上げており、休符にも無駄がない。

こんな風に僕はふけるかというと、今は吹けない。

でも、こうでないと、メロディーが歌えていることにはならないんだと思う。メロディーラインをしっかり意識し、可能であれば歌詞の把握した上で、息継ぎを行う。

アマチュアブレス無駄に多い人は結構いると、僕も思う。

こういうことを意識してテーマの練習をしようと思う。

2015-02-21楽器の技量と音楽の技量と このエントリーを含むブックマーク

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この前に書いたことと、一部似ているけれど。

そんなわけで、楽器技量演奏パフォーマンスは必ずしも平行しない。

楽器がうまければ使用する引き出しも多く、サウンドをカラフルにすることはできるが、どうしてもおさえるべき部分は、ある種の覚悟のようなものである

それは技量とは別の次元の心性で、その上部にある音楽性と、自分の中のアイデアを具体化するある種の覚悟のようなものだ。

今の自分演奏に不満があるときに、それが、自分アイデア楽器翻訳する段階に問題があるのか、それとも、そもそもアイデアのものがまずいのかを分けて考えてみたらいい。

演奏ダサいのは、楽器がヘタなんじゃなくて、音楽のものがヘタなことが圧倒的に多い。しかしこれは多くの人が(僕も含めて)認めたくないことだ。*1

ガラスを割らんばかりの圧倒的なハイトーン、口の中で万能ネギを小口切りにできるほどの鋭いタンギングを持ちながら絶望的にダサいアマチュアアドリブソロを幾度聴いてきたことか。楽器のうまさに依拠する悪い例である

そういう御仁はまるでちんぽの大きさのように楽器のうまさを誇示する。それが彼のアイデンティティの拠り所なので。ますます練習しより大きなリソースをそこに注ぐ。でもそれでは音楽は上手くならず、その結果が、前述した「まるで痛いだけのセックス」のようなアドリブだ。

こういう極端な例は明らかだが、誰しもこういう要素を持っていることを自戒しないといけない。人間うまくいってる練習は続けたいものだ。だって、気持ちいいからね。新しいことをとりいれると、最初試行錯誤して、すぐ成果はあがらない。

「できる」人は「できない」練習をやりたがらない。

あるいは。「できない」人は「できる」練習しかしない。

これが、演奏技量に束縛される現象だ。

* *

最近僕は、ピアノをさわっている。実は幼少の頃ピアノはやってなくて、大人になって始めたわけだ。

当然全然うまくなく、つたない自分演奏に腹も立つのだが、しかし例えばセッションに参加すると、つたない技量の中で、微風ながらも起承転結やトータルサウンドに貢献しなければいけない。

そうすると、まるで「おやつは300円まで」の世界だ。乏しい引き出しをやりくりしないといけない。

だが逆にその「やりくり感覚」って、自分の一番得意な楽器を触ってるときには意識しにくいことなである。着想の部分はどの楽器であれ共通する要素だ。

カン楽器のいいところは、自分演奏技量プライド呪縛から解き放たれ、着想部分を純粋に考えることができることだと思う。

プロミュージシャンは鼻唄歌っても菜箸で机をチンチンやっててもかっこいいのである*2

* *

別にカン楽器をしなきゃいけない、というわけじゃない。楽器技量依存していない部分、音楽イデアを涵養しましょうという話だ。

ただセカン楽器をさわると、その辺は割と明確にはなる。

着想のところはどんなに楽器をさわる時間が短くても関係ないわけで、時間のない社会人でもできないわけではないのだ。

*1:大体がジャムセッションにでる連中のほとんどが、学バンの中では「腕自慢」なほうだからセッションにでるに必要な最低限の楽器技量は持ち合わせていることが多い

*2:一流のプロの話である音楽ってものをわかっている人は、やはり不慣れなデバイスでもかっこいい。

2014-12-15

楽器うまい下手、アマプロの汽水域にいる話 楽器のうまい下手、アマとプロの汽水域にいる話 - 半熟三昧(ジャズ味) を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽器のうまい下手、アマとプロの汽水域にいる話 - 半熟三昧(ジャズ味)

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ちょっと前にTwitterでも書いていましたが。

私は、昼間は普通仕事をしているのですが、趣味としてジャズをやっております

アマチュアジャズミュージシャンの実力としては、どれくらいのポジションにあるか?というのは、なかなか難しいよなあと思いますが、一応、中級者~上級者と自称しても差し支えないかと思っています*1

大体どこのジャムセッションにも行って、大体の曲はやっちゃう。あと、歌伴のオブリとかも大体やっちゃう

ただ、超速のテンポとか苦手ですし、D~F#シャープ系のキーは苦手で、二の足を踏んだりしますし、バラード表現力は拙いなあといつも臍を噛む思いでもあります。んーじゃあ、中級者か。中の上。

そんなわたしの、戯言です。以下は。

 *    *    *

 というわけで、プロが混じっているセッションにも、今ではあまり抵抗なく参加している昨今ですが、学生の時分、プロミュージシャンといえば、全く雲の上の存在で、親しげに話なんかできなかったし*2 ましてや、一緒に演奏させていただくなんて、めったにないことでした。

 逆に、学生の頃は、CDになってるような有名ミュージシャンに対して、「ここがいい悪い」など知ったげな事を言ったりこきおろすことも可能でした。

 なぜなら、彼らは別の世界の住人だったから。

 下手くそだったかプロと住む世界が完全に違っていたわけだ。

ところがいまは、その頃よりちょっとうまくなり、そのおかげで世界が広がりました。すると、そういう人と、例えばアフターセッションなどで同じ舞台にたったりするわけですね。

 演奏を目の当たりにすると、自分との懸隔をまざまざとみせつけられるわけで、そういうことは逆に言えなくなるんですよね。うまくなれば、さらに上が見えるので、人は謙虚にならざるを得ません。

 リスナーとして聴く分には「大したことないわ…」とか不遜にも思ってたミュージシャンでさえ、一緒にやると、やっぱりすごいんだわ。はあ、一緒にやるって、聴くだけよりもいろんなことがわかるものですね。

 *    *    *

 かといってプロから尊敬に値する、という訳でもないのは面白いところ。

 楽器で飯を食う、ということは、並々ならぬ覚悟でできることではない。その姿勢だけで尊敬すべき人生を選択されていることは間違いないんです。

 ただ、演奏家としての技量やそのサウンドのありようは、やはりまちまちで、専業演奏家から、無条件に尊敬できる演奏になるというわけではない*3

 専業音楽家であることは、すばらしい演奏必要条件の一つではあるけれども、十分条件ではない。

 たとえば、プロアマの汽水域から這い上がれないプロの中には、楽器は抜群に上手いけど一流プロになるための何かが欠けているのか、「唄う」アマチュアの方が部分的には優れている場合がある。

 *    *    *

 うちの父はゴルフ狂いなのだが、音楽狂いの私のそれと同様、往時はアマチュアでありながらプロと時には一緒にやるくらいの腕前である左利きハンディは最高で3。

 そのセミプロ級の父に聞くと、ゴルフでも同様のことはあると。

 ゴルフプロは、そりゃあプロテストに受かる「スポーツ選手」なので、体の作りこみもすごいし、ドライバーの飛距離とか、そういう強さは、やはりアマとは画然としているわけですけれども、結局ゴルフ本質はパッティングであり、そこはメンタルおよび経験結構ものをいうので、たとえば勘所のいいベテランアマチュアからみたら、まだ「つかみ切れていないよなあ」みたいに感じられる部分もあるのだとか。

 で、アマでもプロとやり慣れている人は、そういう戦力の非対称部分をうまく使って、「全要素でアマに勝たないと」、と思っている若いプロの勝ち気に乗じて勝負しかけるらしい。

 すごくわかる気がする。

 *    *    *

 もちろん、競技ゴルフと、ジャムセッションは違う。

 でも、テニスラリーとは、少し似ている部分もあるかもしれない。

 ラリーを続けることと、得点をすることが、相反するように。

 ジャズは、勿論協働してひとつの曲を作り上げる「非ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけですが、もちろん、ソリスト同士が、お互いのソロを競う「ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけです。

 出来上がった音楽をいいものにするには、相手の得意なところをのばすようなアプローチがいい。でも、相手よりも自分ソロを印象深いソロにするために、相手の得意な部分をつぶすようなアプローチも時にはありうるとは思います

 相手に打たせて、ラリーを続けるような演奏。相手に打たせないようにして、得点をあげるような演奏

 演奏においては、共演者に対する尊敬と反感、自己に対する謙遜と自負、さまざまなメンタリティーが混在しており、それによって、とりうるアプローチがいろいろかわってくるわけで、それがジャズの出たとこ勝負であり、楽しい部分であると思います

 ジャムセッションというのは、ある種のゲームであると私は思っているのですが、時々そういうことを考えつつ、各人のエゴを推し量りながら、自分表現を変えたりしています

*1:そもそもトロンボーンという楽器自体ジャムセッションにおいてはハンディキャップ楽器なので、この辺の評価が難しいところではある。また、こういう「自認」ってやつは、基本的過大評価やすいという弊もある

*2:もちろんこじれた自意識も大いに作用していたと思います

*3:口に糊するために不本意な演奏をする、というパターンの専業音楽家も当然いらっしゃるわけですし

2014-05-05ヒゲとボインとギター このエントリーを含むブックマーク

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ワークライフバランス(Wikipedia)という言葉と同様に、ミュージックライフバランス、ということを考えてもいいと思う。

 バランスを欠いている人が周りに多すぎる。

 自戒もこめて。クールダウン

 *  *  *

 プロ場合はすべてのエネルギーを注力することが許される(むしろそうしなければいけない)が、主たる生計が音楽以外にある場合は、可処分時間として多くを仕事に削られ、残ったリソース音楽に注ぎ込むことになる。

 問題は残ったリソースのうちどれくらいを音楽に注ぎ込むかだ。この可処分時間のうち音楽占有率が多すぎる場合は、その分何かを代償していることは間違いなく、しかも我々はそのような「不都合な真実から目を背けがである音楽基本的には「快」に属することで、今やらなければならない緊喫の事案から目を背け、音楽に逃避する弊がある。

 以前僕は学生に向かって「学業音楽セックス。二つまでは選べる」と言っことがある。セックスという言い方が直截的すぎるなら、恋愛といってもいい。これは医療における有名なトリレンマパクリだが、社会人になっても学業仕事に置き換わるだけでそれは同じだ。

ヒゲとボイン

 Unicorn名曲ヒゲとボイン」は仕事恋愛かという二者択一ヒゲとボインというアイコン単純化して見事な歌詞にしたわけで、この言い方に従えば、我々は「ヒゲとボインギター」のうち2つを選ぶ世界に生きている。

 *  *  *

 ただ、現実オール・オア・ナッシングではなく、ゲームのようにアイコンを選んで装備して終わり、というわけにはいかない。現実には、我々はヒゲボインギターバランスよく配分して生きることになる。複数のことを同時に処理する意識をもつ必要はあるけれど。

 私は頭の中に、自分の取り組んでいることに関するポートフォリオ(wikipedia)をいつも頭の中で想像している。その中には、仕事(これは臨床的なこと、医療経営的なこと、学術的なことなさらに細分化されている)や、音楽ダイエットジョギング)、家族との関係性、友人関係などが入っている)。

 自分の中のポートフォリオの中の事柄の優先度をうまく管理して、ベターパフォーマンスをあげられればいいと、いつも思う。

 人がどう感じようが、自分のなかでトータルで損得感情が浮けば、人生、勝ちだ。

 *  *  *

 一つ一つの事柄に関しては、かけたコストに対してリターンが帰ってくる。この場合コストお金ではなく、時間自分情熱であり、リターンは自分満足度ということになる。

 ある程度コストを増やすにつれてリターンは増える。が、あるレベルを超えると用量依存性が失われて効率は逓減してゆくはずだ。

 そしてポートフォリオファイリングされている音楽仕事、だけではなく、その他のものにも気を配っておかなければいけない。家族のこと、だったり、恋愛だったり。家事だったり、その他の維持すべき友人関係であったり、別の趣味であったり。時間は有限で、ある種誰にとっても平等だ。自分にとってのもっともよいバランスをさぐる。


 音楽に対する深い情熱を持つことと、冷徹に今の自分のありようを客観視して、注力する時間を出し入れすることは矛盾はしないと思う。すべては趣味継続させるのに必要なことだ。BCP(Business continuity planning)。


 すなわち、ミュージックライフバランス