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半熟三昧(ジャズ味) このページをアンテナに追加

2015-02-21楽器の技量と音楽の技量と

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この前に書いたことと、一部似ているけれど。

そんなわけで、楽器技量演奏パフォーマンスは必ずしも平行しない。

楽器がうまければ使用する引き出しも多く、サウンドをカラフルにすることはできるが、どうしてもおさえるべき部分は、ある種の覚悟のようなものである

それは技量とは別の次元の心性で、その上部にある音楽性と、自分の中のアイデアを具体化するある種の覚悟のようなものだ。

今の自分演奏に不満があるときに、それが、自分アイデア楽器翻訳する段階に問題があるのか、それとも、そもそもアイデアのものがまずいのかを分けて考えてみたらいい。

演奏ダサいのは、楽器がヘタなんじゃなくて、音楽のものがヘタなことが圧倒的に多い。しかしこれは多くの人が(僕も含めて)認めたくないことだ。*1

ガラスを割らんばかりの圧倒的なハイトーン、口の中で万能ネギを小口切りにできるほどの鋭いタンギングを持ちながら絶望的にダサいアマチュアアドリブソロを幾度聴いてきたことか。楽器のうまさに依拠する悪い例である

そういう御仁はまるでちんぽの大きさのように楽器のうまさを誇示する。それが彼のアイデンティティの拠り所なので。ますます練習しより大きなリソースをそこに注ぐ。でもそれでは音楽は上手くならず、その結果が、前述した「まるで痛いだけのセックス」のようなアドリブだ。

こういう極端な例は明らかだが、誰しもこういう要素を持っていることを自戒しないといけない。人間うまくいってる練習は続けたいものだ。だって、気持ちいいからね。新しいことをとりいれると、最初試行錯誤して、すぐ成果はあがらない。

「できる」人は「できない」練習をやりたがらない。

あるいは。「できない」人は「できる」練習しかしない。

これが、演奏技量に束縛される現象だ。

* *

最近僕は、ピアノをさわっている。実は幼少の頃ピアノはやってなくて、大人になって始めたわけだ。

当然全然うまくなく、つたない自分演奏に腹も立つのだが、しかし例えばセッションに参加すると、つたない技量の中で、微風ながらも起承転結やトータルサウンドに貢献しなければいけない。

そうすると、まるで「おやつは300円まで」の世界だ。乏しい引き出しをやりくりしないといけない。

だが逆にその「やりくり感覚」って、自分の一番得意な楽器を触ってるときには意識しにくいことなである。着想の部分はどの楽器であれ共通する要素だ。

カン楽器のいいところは、自分演奏技量プライド呪縛から解き放たれ、着想部分を純粋に考えることができることだと思う。

プロミュージシャンは鼻唄歌っても菜箸で机をチンチンやっててもかっこいいのである*2

* *

別にカン楽器をしなきゃいけない、というわけじゃない。楽器技量依存していない部分、音楽イデアを涵養しましょうという話だ。

ただセカン楽器をさわると、その辺は割と明確にはなる。

着想のところはどんなに楽器をさわる時間が短くても関係ないわけで、時間のない社会人でもできないわけではないのだ。

*1:大体がジャムセッションにでる連中のほとんどが、学バンの中では「腕自慢」なほうだからセッションにでるに必要な最低限の楽器技量は持ち合わせていることが多い

*2:一流のプロの話である音楽ってものをわかっている人は、やはり不慣れなデバイスでもかっこいい。

2014-12-15

楽器うまい下手、アマプロの汽水域にいる話 はてなブックマーク - 楽器のうまい下手、アマとプロの汽水域にいる話 - 半熟三昧(ジャズ味)

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ちょっと前にTwitterでも書いていましたが。

私は、昼間は普通仕事をしているのですが、趣味としてジャズをやっております

アマチュアジャズミュージシャンの実力としては、どれくらいのポジションにあるか?というのは、なかなか難しいよなあと思いますが、一応、中級者~上級者と自称しても差し支えないかと思っています*1

大体どこのジャムセッションにも行って、大体の曲はやっちゃう。あと、歌伴のオブリとかも大体やっちゃう

ただ、超速のテンポとか苦手ですし、D~F#シャープ系のキーは苦手で、二の足を踏んだりしますし、バラード表現力は拙いなあといつも臍を噛む思いでもあります。んーじゃあ、中級者か。中の上。

そんなわたしの、戯言です。以下は。

 *    *    *

 というわけで、プロが混じっているセッションにも、今ではあまり抵抗なく参加している昨今ですが、学生の時分、プロミュージシャンといえば、全く雲の上の存在で、親しげに話なんかできなかったし*2 ましてや、一緒に演奏させていただくなんて、めったにないことでした。

 逆に、学生の頃は、CDになってるような有名ミュージシャンに対して、「ここがいい悪い」など知ったげな事を言ったりこきおろすことも可能でした。

 なぜなら、彼らは別の世界の住人だったから。

 下手くそだったかプロと住む世界が完全に違っていたわけだ。

ところがいまは、その頃よりちょっとうまくなり、そのおかげで世界が広がりました。すると、そういう人と、例えばアフターセッションなどで同じ舞台にたったりするわけですね。

 演奏を目の当たりにすると、自分との懸隔をまざまざとみせつけられるわけで、そういうことは逆に言えなくなるんですよね。うまくなれば、さらに上が見えるので、人は謙虚にならざるを得ません。

 リスナーとして聴く分には「大したことないわ…」とか不遜にも思ってたミュージシャンでさえ、一緒にやると、やっぱりすごいんだわ。はあ、一緒にやるって、聴くだけよりもいろんなことがわかるものですね。

 *    *    *

 かといってプロから尊敬に値する、という訳でもないのは面白いところ。

 楽器で飯を食う、ということは、並々ならぬ覚悟でできることではない。その姿勢だけで尊敬すべき人生を選択されていることは間違いないんです。

 ただ、演奏家としての技量やそのサウンドのありようは、やはりまちまちで、専業演奏家から、無条件に尊敬できる演奏になるというわけではない*3

 専業音楽家であることは、すばらしい演奏必要条件の一つではあるけれども、十分条件ではない。

 たとえば、プロアマの汽水域から這い上がれないプロの中には、楽器は抜群に上手いけど一流プロになるための何かが欠けているのか、「唄う」アマチュアの方が部分的には優れている場合がある。

 *    *    *

 うちの父はゴルフ狂いなのだが、音楽狂いの私のそれと同様、往時はアマチュアでありながらプロと時には一緒にやるくらいの腕前である左利きハンディは最高で3。

 そのセミプロ級の父に聞くと、ゴルフでも同様のことはあると。

 ゴルフプロは、そりゃあプロテストに受かる「スポーツ選手」なので、体の作りこみもすごいし、ドライバーの飛距離とか、そういう強さは、やはりアマとは画然としているわけですけれども、結局ゴルフ本質はパッティングであり、そこはメンタルおよび経験結構ものをいうので、たとえば勘所のいいベテランアマチュアからみたら、まだ「つかみ切れていないよなあ」みたいに感じられる部分もあるのだとか。

 で、アマでもプロとやり慣れている人は、そういう戦力の非対称部分をうまく使って、「全要素でアマに勝たないと」、と思っている若いプロの勝ち気に乗じて勝負しかけるらしい。

 すごくわかる気がする。

 *    *    *

 もちろん、競技ゴルフと、ジャムセッションは違う。

 でも、テニスラリーとは、少し似ている部分もあるかもしれない。

 ラリーを続けることと、得点をすることが、相反するように。

 ジャズは、勿論協働してひとつの曲を作り上げる「非ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけですが、もちろん、ソリスト同士が、お互いのソロを競う「ゼロサムゲーム」的な要素もあるわけです。

 出来上がった音楽をいいものにするには、相手の得意なところをのばすようなアプローチがいい。でも、相手よりも自分ソロを印象深いソロにするために、相手の得意な部分をつぶすようなアプローチも時にはありうるとは思います

 相手に打たせて、ラリーを続けるような演奏。相手に打たせないようにして、得点をあげるような演奏

 演奏においては、共演者に対する尊敬と反感、自己に対する謙遜と自負、さまざまなメンタリティーが混在しており、それによって、とりうるアプローチがいろいろかわってくるわけで、それがジャズの出たとこ勝負であり、楽しい部分であると思います

 ジャムセッションというのは、ある種のゲームであると私は思っているのですが、時々そういうことを考えつつ、各人のエゴを推し量りながら、自分表現を変えたりしています

*1:そもそもトロンボーンという楽器自体ジャムセッションにおいてはハンディキャップ楽器なので、この辺の評価が難しいところではある。また、こういう「自認」ってやつは、基本的過大評価やすいという弊もある

*2:もちろんこじれた自意識も大いに作用していたと思います

*3:口に糊するために不本意な演奏をする、というパターンの専業音楽家も当然いらっしゃるわけですし

2014-05-05ヒゲとボインとギター

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ワークライフバランス(Wikipedia)という言葉と同様に、ミュージックライフバランス、ということを考えてもいいと思う。

 バランスを欠いている人が周りに多すぎる。

 自戒もこめて。クールダウン

 *  *  *

 プロ場合はすべてのエネルギーを注力することが許される(むしろそうしなければいけない)が、主たる生計が音楽以外にある場合は、可処分時間として多くを仕事に削られ、残ったリソース音楽に注ぎ込むことになる。

 問題は残ったリソースのうちどれくらいを音楽に注ぎ込むかだ。この可処分時間のうち音楽占有率が多すぎる場合は、その分何かを代償していることは間違いなく、しかも我々はそのような「不都合な真実から目を背けがである音楽基本的には「快」に属することで、今やらなければならない緊喫の事案から目を背け、音楽に逃避する弊がある。

 以前僕は学生に向かって「学業音楽セックス。二つまでは選べる」と言っことがある。セックスという言い方が直截的すぎるなら、恋愛といってもいい。これは医療における有名なトリレンマパクリだが、社会人になっても学業仕事に置き換わるだけでそれは同じだ。

ヒゲとボイン

 Unicorn名曲ヒゲとボイン」は仕事恋愛かという二者択一ヒゲとボインというアイコン単純化して見事な歌詞にしたわけで、この言い方に従えば、我々は「ヒゲとボインギター」のうち2つを選ぶ世界に生きている。

 *  *  *

 ただ、現実オール・オア・ナッシングではなく、ゲームのようにアイコンを選んで装備して終わり、というわけにはいかない。現実には、我々はヒゲボインギターバランスよく配分して生きることになる。複数のことを同時に処理する意識をもつ必要はあるけれど。

 私は頭の中に、自分の取り組んでいることに関するポートフォリオ(wikipedia)をいつも頭の中で想像している。その中には、仕事(これは臨床的なこと、医療経営的なこと、学術的なことなさらに細分化されている)や、音楽ダイエットジョギング)、家族との関係性、友人関係などが入っている)。

 自分の中のポートフォリオの中の事柄の優先度をうまく管理して、ベターパフォーマンスをあげられればいいと、いつも思う。

 人がどう感じようが、自分のなかでトータルで損得感情が浮けば、人生、勝ちだ。

 *  *  *

 一つ一つの事柄に関しては、かけたコストに対してリターンが帰ってくる。この場合コストお金ではなく、時間自分情熱であり、リターンは自分満足度ということになる。

 ある程度コストを増やすにつれてリターンは増える。が、あるレベルを超えると用量依存性が失われて効率は逓減してゆくはずだ。

 そしてポートフォリオファイリングされている音楽仕事、だけではなく、その他のものにも気を配っておかなければいけない。家族のこと、だったり、恋愛だったり。家事だったり、その他の維持すべき友人関係であったり、別の趣味であったり。時間は有限で、ある種誰にとっても平等だ。自分にとってのもっともよいバランスをさぐる。


 音楽に対する深い情熱を持つことと、冷徹に今の自分のありようを客観視して、注力する時間を出し入れすることは矛盾はしないと思う。すべては趣味継続させるのに必要なことだ。BCP(Business continuity planning)。


 すなわち、ミュージックライフバランス

2013-10-29

ボーカルと私。 はてなブックマーク - ボーカルと私。 - 半熟三昧(ジャズ味)

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最近私はあちこちで歌い散らかしているわけです。はい

実際のところ嫁には、あんたの歌どうなん?と聞かれますが(あ、嫁は私よりずっと歌がうまいのです。ドラムしながらのコーラスには定評がある)実際のところどうなん?と私も思う。まあ、ひどく音程ははずれてはいないとは思う。

私は長らくストイックインストゥルメンタリストという立ち位置音楽に関わってきたので、今までの私をよく知っている人からすれば、最近の私のありようには、いささか違和感があるように思う。というか、私自身がそうです。

なんで僕、歌ってんだろ?

 * *

ボーカルというものは私とは無縁な存在だとずっと思っていた。自分ボーカルなんて出来るはずがない、と。

僕が考えるボーカルイメージは、まるで新鮮な果実をぎゅっと絞ったように、あふれちゃってあふれちゃってしょうがないくらいに音楽的な才能が豊かな人。

開放的な心性を持った人。

どちらかというと理性よりも情実に豊かで、他人の感情波動に敏感な人。

 …そういうのがボーカルにとって必要特性と思っていた。

対して僕は、ぜんぜんそんなタイプではない。

もぐらのように深く潜って乏しい音楽鉱脈を掘り起こしてやりくりしていたタイプだ。情よりも理。心の扉も閉ざされて、どちらかというと批判的な思考をする。

 * *

 きっかけはカラオケだった。

 昔は私はカラオケに行かない人だった。「歌で表現しなくても楽器音楽やっているからいいや」と言っていたが、なんのことはない、自分の拙い歌を晒すのがいやだっただけだ。青年期の私の肥大した自意識は、歌うという外向的な行為を行うにはいささかナイーブ過ぎたといえる。そうして僕の青春時代は過ぎた。

 数年前から楽器の練習をするのにカラオケボックスを使うようになり、となると必然的にお一人様カラオケになり、そこで空いている時間歌ってみたりしたわけだ。その頃トロンボーンピッチが随分良くなっていた事や、お一人様なので、キー最適化とかができたのもあると思うが、結構歌えたのである。なんだ!俺ヘタじゃないじゃん、と。

 また、それとは別に、去年のエントリー(曲をこなせること:http://jazz.g.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20121016)にも書いたが、楽曲分析をするのに、歌詞を集めたり、曲の世界観を調べるとか、そういうインサイドワークも、こつこつとしていたのである。せっかく調べたんだから、そのまま捨ててしまうのももったいないような気もした。

 それなら試しに歌ってみたらいいじゃないか最近カラオケもよく行くし

 →あら面白いわあ。歌って楽しいわあ。

 まるでそば湯のようなものである

 スピンアウト、とかバイプロダクトとか、かっこいい言い方もあるが…

 かくして僕は歌い始めたのである

 * *

 歌ってみてわかったことは、やはりボーカル楽器は随分違うということ、しかし、本質的には同じということ。

 ボーカルは、自分が頭のなかでイメージしたことが、かなりダイレクトに反映される。ボーカルってやつはとにもかくにも丸出しなのだ。むしろ抵抗がなさすぎる。

 対してトロンボーンは、頭のなかでおもいえがいたことを音にするまでに相当の修練を必要とする楽器だ。抵抗に打ち勝って、なんとか音を出す、そういう感じだ。だからトロンボーン一筋だった自分からしてみれば、ボーカルダイレクトさには相当当惑した。泥田の上を歩いていた人間が、突然氷の上に立たされたようなものである

 ただ、そういう不自由環境でいろいろ考えてきたことは、やはり同じ音楽。役に立つのである人生無駄なことはない、というのは本当だ。

 逆に、器楽なしで純粋ボーカルだけだと、よりどころがないと思う。紙と鉛筆なしで数学の問題を解くようなものだ。どうやって練習したらいいのかすごく難しいと思う。*1

 泥田と氷のたとえになったが、トロンボーンは、音を出すのにコントロール力が要求されるのに対し、ボーカルは無数に出しうる音のうち、強い意志を持って音を置く(刈りこんでいく)コントロール力が要求されるのかもしれない。

 いずれにしろトロンボーンをやったことはまぎれもなくボーカルやるのに役立っている。そして、ボーカルをやることも、トロンボーンの方にもフィードバックされている。

 * *

 ボーカルという形で前に出る選択を最近したのは、自分仕事の変化もあるかもしれない、とも思う。

簡単に云うと、今までキレンジャー的な人間だった僕は、今後アカレンジャーになる。組織の下部構成員であることから経営者とか、プレイングマネージャーという立場に今後数年でなることを余儀なくされる。

 私の中では、そのような変化について「性に合わないなあ…」という、うんざりした気持ちを持ちながら、しかしやらなければならないのだ…という覚悟とも畏れともつかない感情が混在している。

 フロントに立って歌うという行為は、つとめてアカレンジャー的な行為で、それを敢えてやろうと思い立ったのは、ある種の訓練を自分に課しているともいえなくもない。今ボーカルをやってみているのは、不足の栄養分を補っているのに近い。

 そして嬉しい事に、私自身はそういう振る舞いに慣れつつある。変化を実感している。

数年経てば、今の自分の行動はもうすこし冷静にふりかえることができるかもしれない。その時に、長年やってきたトロンボーンが、自分の心の中でどのような地位を占めているのかは、興味深い問題だと思う。

*1:実際、ジャズ構造に興味を持ったボーカリストはやはり楽器を触りつつ学習をしているように思われる。テーマだけ歌って終わりのボーカルとそれ以上に進むボーカルかの、境目はそこだ

laaffpyaydlaaffpyayd2013/11/23 11:04pnxhbkb{{, <a href="http://www.mhyhlybisp.com/">stuequisrw</a> , [url=http://www.ynogwuhvez.com/]qsisfosljv[/url], http://www.vrsmphcwji.com/ stuequisrw

ZiarreZiarre2014/01/19 16:25What a joy to find somneoe else who thinks this way.

ElenaElena2014/01/20 03:53At last, <a href="http://nikfpkezj.com">soenmoe</a> who comes to the heart of it all

日々鍛錬日々鍛錬2015/09/14 17:57こんにちわ

ネット検索のサプライズは、際限なく枝葉が分かれる事ですネ。
納浩一氏の「ジャズバイブル」を検索・・このブログに到達。
楽譜本紹介欄もそこそこに ズーット読んじゃいました。
コンデミのくだり(分かりやすい解説でした)
特に柳宗理の一言は、明快です。(天童木工愛好者デス)

拙者は、コントラ歴40年(年数だけは、納浩一より上)
次回生まれ変われたらトロンボーンをやりたいと思って居りましたが、このブログ見てその過酷さが、身に沁み諦めます。

練習日記、今後も愛読させて戴きます。
追 ヘキサトニックも是非・・・

2013-07-19練習におけるPDCAサイクル

インプットアウトプットの話を前回(http://jazz.g.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20130610)書いた。

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 ああいう書きかたをしたのは、要するに今の自分の行動に辟易していたからで、あれから1ヶ月あまり、新しい企画や前回やった企画のその2、というのをあえて走らせずに、セッションにゆるゆると参加したりはしながら、自分のありようを考えている。

 もっとも、観る方は充実していた。

 ニューヨーク活躍している大林武司(http://ameblo.jp/tksobys/)さんのライブ師匠でもある浜崎航・松本茜さんのライブ(Big Catchレコ発ツアー)と、CDレベルの方々のライブを立て続けに観、自分とのあまりの懸隔に呆然としたりもした。なにしろ、みな自分より年下だけれども、ジャズの真髄に肉薄していること、比ではない。

 と思ったけれども、そういう人の演奏を、そもそも同じ地平で考えている自分の不遜さが、おかしくも微笑ましく思えたのも事実である。こういう人たちを同一平面上の事象としてとらえる、べきかどうかはわからないが、アマチュアミュージシャンの多くは、そうは考えない。

 もともと持っているタレント、練習量などの差はさておき、一応目標としてこのレベル念頭に置いて、研鑽を続けると、その人達のたどりついた高みの何割かのところに到達することができる(なにしろこちらは、彼らよりも能力が劣っている上に二足のわらじを履いているのだ)。逆にいうと、そういう思いを持たないと伸びないのである。「アマチュアジャズミュージシャン平均値、だいたいこれくらいでOK?」というあたりを目標にしていても、伸びない。

 どんなに大それた、実現性の薄いことであったとしても、想像しないことは実現しない。モラトリアムから決別し、社会人としては実社会にそれなりの地位を見出し子供も持った自分ではあるが、未だにこういう人達と同一平面上での演奏妄想していることは、演奏者としては健全なのではないか

 と思ったのは、ここ最近セッションで久しぶりに会う人々の演奏を耳にしたからだ。アマチュア演奏で差が出るのは、そういう「健全妄想」を持っているかそうでないかというところではなかろうか。そういうことを考えなくなった人からは、もうそういう音しかでないのだ。

 もっとも、そういう妄想は、社会人必須能力である客観的な評価能力や鑑賞眼と相反することだ。世の中をわたってゆくのに必要クールさ、クレバーさは、自分がとるそのような妄想クレイジーと断ずるだろう。

 だから自分能力を超えて、あまりに、あまりに、高みを目指すと、イカロスのように紅蓮の炎に焦がされてしまうのかもしれない。

 でも、貪欲に、目標は高く持った方がいい。たとえ、自分に幻滅してさえも。

 現在自分に対する幻滅と、根拠のない未来への肯定感。おそらくこの青臭さが、サミュエルウルマンのいうところの青春なんだと思う。

 今の僕は、社会人の持つクールさと、しかミュージシャンの持つべクレイジーさを、脳の中で同居させている(勿論、幾分かの欺瞞はあるし、大人はずるいので、現在自分に対する幻滅は若い頃よりは減らして自己肯定の比率をこっそり増やして心が折れないように防御もしている)。

 もちろんこれは一朝一夕にできるようになったわけではなく、多くの社会人ミュージシャンは、まず社会に出て、Adjustするのに少し時間を要し、そこから夜昼の切り替えを学習するのではないかな。

 * * *

 しかし、インプットアウトプットのサイクルは難しい。

ライブを観るという行為インプットだし。セッション演奏するというのはアウトプットである

しかし家で練習する、というのもインプットだし、セッションじゃない、自分ライブを組み立てるのもアウトプットである

 しかし、この2つのインプット全然意味が違うし、アウトプットも、少し意味あいが異なる。いや、そもそも家で練習というのはインプットなのか?アウトプットなのか?よくわからなくなってきた。家で練習、というのは、演奏の入出力では、アウトプットだが、他人に表現するという意味ではインプットという事になる。単純に、インプットアウトプット、という二元法ではなく、もう少し細かく表現した方がよさそうだ。

しろビジネス世界提唱されている、PDCAサイクルを練習の方法論に取り入れてみた方がいいかも。PDCAサイクルとは Plan→Do→Check→Actionの頭文字で、事業活動における生産管理品質管理などの管理業務を円滑に進める手法である

最近いろいろなことに触れて思うことは「一つのことはすべてに通じる」という事。

人間が行うことである限り、仕事でのメソッドも、趣味や家庭でのメソッドも、援用できるものは多い。

Plan:現状の評価と練習計画の策定

Do:練習(コピーをしたり、アナリゼをしたり。含セッションでの演奏

Check:問題点の再評価

Action:演奏

最近おろそかになっているけど、練習日誌を書くのを再開してみよう。

 * * *

今度は、「アメーバ経営」が音楽に援用できるかどうか、考えてみようかな。

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